シンギュラリティで最も恐ろしいのは機械の反乱などではない
シンギュラリティ
2045年あたりにシンギュラリティが来ると言われており、そうなると、人工知能(AI)が我々人間の思考能力を超え、それが再帰的に人工知能の性能を加速度的に高めていくと言われています。人間より賢いAIが、より賢いAIを作り出し、それがまた更により賢いAIを作って・・・というサイクルがものすごい速さで回ります。
ポスト・シンギュラリティ
シンギュラリティが到来すると、その後の世界はどうなるのか。確かなことは誰にもわかっていません。楽観的な意見、悲観的な意見がそれぞれありますが、悲観的な意見として代表的なのが「機械が自己を持ち、生みの親である人間を敵対視して排除するのではないか」という、いわゆるスカイネットシナリオです。
それについて「あり得る」「いやありえない」という議論が世界中で巻き起こっていますが、結論は出ていません。
スカイネットはまだマシ
スカイネットシナリオの行き着く先は「機械 vs. 人間」の戦争です。なので万が一そのシナリオが現実のものとなったとしても、もし人間が勝ちさえすれば、そこには未来があります。そういった未来を見据えた希望を持つことができます。
しかし、実際にはもっと恐ろしい結末が他にありえると考えます。
もっと恐ろしいのは、無邪気で正確な予測による絶望
AIが人間に敵意を持たず「健全」に発達した場合、その恩恵には未来の正確な予測が含まれます。一年先の正確な天気、ピンポイントな秒単位での地震予知などです。楽観的な意見にはこういった未来が含まれています。しかしそういった予測が有益なのは、対策を立てられるものに対してだけです。
AIの、毛ほどの悪意もない正確な予測の結果が、例えば地球の滅亡だったらどうなるでしょうか。正確な予測で、AIですら回避できない破壊的な現象が予言されてしまったら?巨大隕石の衝突、ガンマ線バーストの直撃、太陽系の崩壊などが例えば3年後にやって来て、地球もしくは宇宙そのものが破壊される、そしてそれは不可避であるとAIが結論を出したら?
これは月が地球に衝突したときのシミュレーション動画ですが、こういうことが100%起こると予測されたら、我々人間は一体どうしたらいいのでしょうか。
打つ手のない絶望が最も恐ろしい
そうなった場合、地球上の人間は絶望のどん底へ突き落とされることになります。人類はこの絶望に耐えられるのでしょうか?
スカイネットと戦争してる方がまだマシです。勝てば未来があるという希望がありますから。実際には絶対に勝てないと思いますが、少なくとも希望を持ったまま死ぬことができます。
設計段階で回避が可能か?
設計段階でそういった予測をアウトプットしないようにすることはできるかもしれません。しかし、それ以降の未来がもし存在しないとなると、それ以降のアウトプットも無くなってしまうので人類はいずれ察知することになるでしょう。
「知らぬが仏」の極地
これは予測なので、AIが引き起こしたわけではなくいずれ起こったことではあるのですが、自分がいつ、どうやって死ぬかを知らされてしまうことほど残酷なことはないでしょう。個人的には、このシナリオがスカイネットよりももっと恐ろしいと感じます。
ダイバーシティインデックス
ダイバーシティインデックスは「多様性の指数」
ダイバーシティは一般的には多様性と訳されます。一つの集団があった時に、個々の要素間にどの程度バリエーションがあるか、どの程度「いろんな人がいるか」っていう考え方です。ダイバーシティインデックスとは、その「どの程度」っていうのを数値化したもので、それが高ければその集団の多様性が高く、低ければ多様性が低いというものです。そして、進化論によれば集団は変化に強いほうが生き残りやすいため、多様性が高い=ダイバーシティインデックスが高いほうが有利なのです。
突然変異の役割
人間に限らず、遺伝子の突然変異っていうのは自律的にダイバーシティインデックスを高める作用と見られています。どういうことかというと、常に遺伝子が正確に引き継がれていてばかりではイノベーションが起こらず、多様性が十分に高まらないことによって例えば何らかのウィルスによって人類が全滅する可能性があるのですが、時折突然変異によって今までの流れと違う枝を伸ばす(フォークする)ことによって今までにない遺伝子、いわば新人類を作り、多様性を確保しているのです。
ただそれが毎回いい方に進めばいいんですが、そんなことは極めて稀です。突然変異は完全にランダムなので、どう転がるかはわかりません。そもそもその変異が良い方向かどうかはその時の状況によっても変わってきます。本当に適当に色んな所に種を撒いておいて、なんかあった時にあわよくばそっちで生き残ってくれるのがあるといいなあ〜っていう戦略です。
グローバル化
一方、科学技術の進歩によって地球はどんどん狭くなり、ヒト・モノ・カネの交流がどんどん激しくなっていきます。それにともなって恋愛も国境を超え、異民族同士の子供が増えていくことになります。人間は本能的にダイバーシティインデックスを高めようとするため、自分にない特徴を持った人に惹かれがちです。思春期の子供が親と距離を置きたがることや、ハーフタレントの人気が高いのも同様の理由です。
ダイバーシティインデックスは増加してからいずれ低下する
そうやってヒトのグローバル化が進むと、ダイバーシティインデックスは増加します。様々な人種同士の交配が起こり、バリエーションが指数関数的に増えていきます。ただ、ある時期を境に減少に転じます。なぜかというと地球は有限で、地球上に住める人間の数には限りがあるからです。
国境を超えた恋愛を目まぐるしいスピードで行った結果、世界中の人種の偏りがなくなり、言ってみれば人種のエントロピーが極限まで増大することで、「アジア人」「欧米人」「黒人」「日本人とフィンランド人のハーフ」などではなく、どこに行っても同じような「地球人」しか見られなくなります。地球上の人種のダイバーシティインデックスがほぼゼロになるわけです。
"良い"突然変異とグローバル化のスピード勝負
そうすると前述した懸念が出てきます。ダイバーシティインデックスが低下したことで全員が遺伝子に同じ弱点を抱えている可能性があるわけです。ピンポイントでそこを攻撃する新種のウィルスが現れて、地球上の人間を一網打尽にすることも考えられるわけです。
その前に人間の遺伝子が突然変異によって新たな多様性を作っていればいいわけですが、突然変異は自分たちでコントロールできません。将来、技術的に可能になったとしても政治的に難しいでしょう。完全に賭けになります。
グローバル化によるダイバーシティインデックスの低下に比べて、より速く「有効な」突然変異が起きてくれなければ、人類は絶滅という大きなリスクを抱えることになります。
もう一つの競争相手
実はもう一つ競争相手がいます。シンギュラリティです。技術的特異点と呼ばれ、コンピュータが人類の知恵を超えることによる技術的なブレイクスルーです。あらゆる問題が、人間には思いもつかない、または人間には不可能なやりかたによって解決されるようになります。これにより、突然変異よりも速く有効なダイバーシティインデックスを増加させる方法が見つかるのかもしれません。
極めて精巧な偽札が誰にも気づかれずに流通したら誰が損をするのか
偽札作りは重罪
言うまでもなく、偽札を作るのは犯罪です。しかも結構重罪です。
通貨というのはそれ自体に価値はなく、「みんなが価値があると信用している」という暗黙の了解で成り立っているので、偽札が流通することでみんなが「この紙切れには価値があるのか?」と疑い始めたらあっというまに破綻してしまうからです。
なので、死刑こそないものの、殺人に次ぐ重罪に位置されています。
シミュレーション
単に作っただけで流通しない場合
ここでちょっと思考実験をしてみます。例えば私が一万円札の偽札を作っただけであれば、何にも影響はありません。誰も、得も損もしません。家宅捜索でもされて見つかったら大変なことになるでしょうが、家にこっそり飾っておくだけなら少なくとも社会的な影響はゼロです。
使ったら誰が損をするか
次にそれをお店で使うと、私が一万円得をして、お店が一万円損することになります。ここで初めて社会に影響が出ます。
お店が損をしない方法
ただそこでお店が損をしない方法がひとつあります。 バレないように使ってまた別の人に渡してしまえば良いんです。これも犯罪ですが、仮にそうした場合は、お店が損を被ることは回避できます。
誰かにバレるまでは流通し続けるババ抜き状態
日本の紙幣は非常に精巧に作られており、偽造は極めて困難です。なので少しの間バレずに流通したとしても、いつかはバレて誰かが捕まることになります。たとえ偽札だと気づかなくても、使ってバレた場合は逮捕されることになります。知らなかったでは済まされないんですね。偽札の流通がババ抜きと呼ばれる所以です。誰かが捕まらないにしても、いずれは目が利いて誠実な人が警察へ提出し、没収され、その人が損をして終わりです。
絶対にばれない偽札があったとしたら
さてここで、私が最初に作った一万円の偽札の出来が非常に良く、分子レベルまでそっくりに作っていた場合はどうなるでしょう?技術的にはともかく、原理的には可能です。そうすると、誰も偽札だと気づく人はいません。本物の紙幣と同様に普通に流通していきます。そして最終的に損傷等によって正規の日本銀行券と交換されて役目を終えたとします。
ここで問題です
問1:このケースでは、私が一万円得をしていますが、一万円損をしたのは誰でしょうか?
インフレ
ここで一旦、別の方面から考えてみます。
私は不正に日本経済に一万円を余分に付け加えてしまいました。これはほんの少しだけインフレを起こしてしまった状態です。
500兆円を偽造した場合
流通する貨幣が2倍になった場合を考えてみましょう。2018年5月時点でのマネタリーベースは490兆円ほどなので、私が一万円なんてケチな金額ではなく、ドーンと500兆円ほど偽造したと考えてください。
紙幣の価値は1/2になります。昨日まで100円で買えていたものが200円出さないと買えなくなります。(実際には一個人が国債を介さずに500兆を流通させるのは不可能ですし、追加の500兆が全体に流通するまで、そしてマネタリーベースがマネーサプライに影響を及ぼすまではタイムラグがあるのでかなり早い段階で国税庁が気づくでしょう。まあそのへんは置いといて、)こうなってしまうとさすがに一般の国民ですらおかしいと気付きます。
一万円を偽造した場合
しかし一万円程度なら誰も気が付かないんです。
不正な一万円の追加流通は、貨幣の価値を1/500億だけ下げることになります。ざっくり言うと昨日まで500億円出せば買えていたものが500億円と1円出さないと買えなくなってしまったということなのですが、日々の物価の変動のほうがはるかに大きいので、それに気がつく人はいないでしょう。
答え
ということで正解は「日本の紙幣を使う人達全員がほんのちょっとずつ損をしている」です。実質的にはほとんど誰も損をせず、自分だけが得をする状態ということになりますね。
一応
なんとなく誰にも迷惑をかけないような気がしちゃいますが、そんな精巧な偽札作りはまず不可能であることと、冒頭で言ったように、貨幣価値の目減り以上に貨幣自体の信用を損なう行為なので絶対にやめましょうね。
グローバル化する世界でこの先生きのこるためには
グローバル化は「方針」ではない
「グローバル化を目指します」っていう企業方針を見かけるようになって久しいんですが、この言葉には違和感があります。
選択の余地は無い
グローバル化は地球規模の現象であって、個々の企業の方針にかかわらず強制的に「巻き込まれる」ものです。なので争点は「目指すか目指さないか」ではなくて「対応できるか出来ないか」にあります。
津波が迫ってきているのに「我々は津波に乗るべきだろうか?」とか言ってる場合じゃないですよね。
「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ。」(ダーウィン)
どんなにドメスティックな産業であっても、そこに需要がある以上は遅かれ早かれ必ずグローバルな競争にさらされます。「グローバル化なんて横文字使われてもピンと来ないし、今の社員が食えていければいいよ」と言っている企業も、結局乗っかっているステージが変わることになるので選択の余地はありません。そういう会社は、買収されればまだいいですが、競争力の高い企業が競合として現れたときには倒産することになります。
グローバル化による競争が世界を良くしていく
資本主義の長所の一つは、強い需要があれば誰かが必ずそれを満たそうと努力するところにある。
悲観的な言い方になりましたが、結局それによって需要が効率よく満たされ、世界は良い方向に向かっていくことになります。資本主義の良いところは、人の欲望がボトムアップで世界をより良くドライブしていくところですね。
ファッションは大喜利である
ファッションの流行=大喜利のテーマ
毎年「今年は〇〇が流行!」など言われているが、その流行は業界によって作られたブームだ
みんな同じような格好をして全然オシャレと思わない、むしろ流行を追いかけている姿勢がダサい
こういうことはよく言われていますが、
そもそもファッションの流行は大喜利と同じなので、
そう考えるとこういった指摘が的はずれであることがわかります。
笑点
笑点ありますよね。
落語家の方たちが、同じお題に対して
一生懸命面白いことを言おうと
頭を使って答えを発表する。
アレってダサいですか?って話です。
「お題も自分で考えられないの?」
「みんなで同じ問題に答えて、恥ずかしくないの?」
とか思わないですよね。
言ってみれば、ファッションの流行はシーズンごとに出題される大喜利なんです。歌丸さんに「さて、次のテーマはこちらです。みなさん自分なりの答えを考えて発表してください」って言われているんです。
一歩間違えるとダサくなりそうな、ちょっとむずかしいお題にうまく答えられると楽しいんですよね。
最近はあえてダサい方に軽くはみ出すくらいがクールになっていて、丸メガネ、白ソックス、ビッグシルエット、あとオルチャンメイクなんかはそういう類のお題ですね。
外しすぎないギリギリを攻めてスポっとハマったときの快感。
そういう意味だとJazzも同じですね。
そういう文脈を知らない人からしたら単にダサいアイテムを使ってるだけに見えるので、かなりハイコンテクストではあります。
上手い人、下手な人
もちろん、下手な人もたくさんいます。全然面白くない答えを出す人や、他の人と全く同じ答えを出しちゃう人。でも大喜利だって、駆け出しの人などはTVで笑点を見ながら「自分だったらこう答えるなあ」とか下手なりに考えますよね。
そしてベテランの落語家さんは、みんな確かに同じテーマについて考えますが、自分なりの知識、経験、センス、業界の文脈(古典の参照など)を盛り込んで、かつその場の空気感まで読み切った上でユニークな答えを出してきますね。
ファッションでも同じことをやってるんです。
ファッションというゲーム
なので、そこで
「業界に踊らされちゃって」
とか
「みんな同じような格好して」
とか言われても
「だって、そういうゲームだから」
なんです。
もちろんそういうのが嫌いな人もいます。頑なにロカビリーな人とか。
そういう人は同じファッションのカテゴリーでも、
「コスプレクラスタ」なので
やってるゲームが違うんですよね。
共産主義的な企業体質
資本主義国家においても、個々の会社はかなり共産主義的だなあと感じます。
端的にいうと、(同等の役職にある)社員の能力に10倍の差があっても給料が10倍になることはあまりないっていう事です。2倍の差がつくことも珍しいんじゃないでしょうか。
昇進による昇給は基本的に別の能力が求められることになるので、たとえば「極めて生産性が高く、普通の人が3ヶ月かかるところを1週間で仕上げてくるようなエンジニア」であっても、人をまとめる力が乏しいと結局昇進は期待できません。そういう人を無理やり昇進させると、他のマネージャと同等の給与をもらいながら「人をまとめられないのに高給なマネージャ」という状態になり、一つ上のレイヤーでまた同じ状態が再現されることになります。
ちなみにこれはピーターの法則と呼ばれる既知の問題です。
とにかく「組織をまとめる」以外の能力は、資本主義的な「報酬=能力のバロメータ」になりにくくなります。
営業の場合は定量的な評価っていうのが比較的やりやすいので、例外的にフルコミッションのセールスなんかだとガッツリ差が現れることもあるんですが、その他のエンジニアやデザイナーあたりだと能力が数字で図りにくいので給料に差がつきにくいんですよね。
「あいつの作るプロダクトはコードがスッキリしてて読みやすい」「問題があってもあいつに聞けば大体解決する」っていう人でも、能力の差は誰の目から見ても明らかなのに昇給させるとなると数字の根拠が必要になるので、上層部を説得できないから給料があがりにくい。
反面、「いつも期限に間に合わない」「バグが多い」ようなエンジニアでも大体同じくらいの水準の給料をもらっています。
どちらのエンジニアも、同様の能力を求められている限りはパフォーマンスに関わらず同等の水準の給料をもらい続けることになり、「有能な誰かが稼いだお金で他の社員が雇われている」という共産主義的な状態になります。
あくまでも個々の会社の内部での状態なので、日本でも雇用の流動性が高まればそういった「有能な人」はもっと高給な会社で同じ役割をするようになりますね。
グローバル化が進むことでそのあたりも是正されていけばいいと思っています。
#男性専用車両 を導入した結果
痴漢撲滅のポスターが「推定無罪の原則」を完全に無視していると話題です。
「推定無罪の原則」とは
逮捕の時点では、犯人ではなくあくまでも「容疑者」であって、裁判で犯人(有罪)と決まるまでは無罪の人として扱わなくてはならない
というものです。「被告」や「容疑者」はまだ「有罪」ではないんです。実際にはほとんどの人が「容疑者=悪いことをした人」っていうイメージを既に持ってしまっていますが、今回はそれを愛知県警の鉄道警察隊というところが無邪気にやらかしてしまったため、各所から総ツッコミを受けている状態です。
痴漢のリスクにフォーカスすることで各々の理性に働きかけて痴漢の抑止を狙いとしたポスターで、やろうとしていること自体は全然問題ないんですが、ちょっと詰めが甘かった感じです。
それはともかく、本当に痴漢は卑劣な行為です。痴漢被害者の多くは泣き寝入りをしていると見られ、世間で思われているよりもかなり多くの女性が痴漢の被害にあっているようです。それと同時に、痴漢の冤罪も話題に上ることが多くなりました。
痴漢冤罪の話題になるとよく聞くのが「男性専用車両の導入を!」という声です。ただこれに関してはかなり否定的な意見を持っています。
なぜかというと「男性専用車両以外の車両が実質的に女性専用車両になる危険性がある」からです。
「隣には男性専用車両があるのに、なんであの人はこの車両に乗っているんだろう?もしかして痴漢?」論法です。
いまは「女性専用車両」と「それ以外」しかないので、男性は「それ以外」の車両に乗らざるをえないんですが、男性専用車両を導入すると「男性専用車両」があるにもかかわらずあえて「それ以外」つまり女性が乗っている車両に乗っているという状況になります。これは怪しい。
未だに「優先席の近くでは電源をお切りください」と言ってるのを見てもわかりますが、「女性専用車両」と「男性専用車両」ができた場合に「それ以外」の車両が何になるのかを相当慎重にイメージ形成しておかないと、そういった理不尽な状況になりかねません。そして、一度そういった状況になってしまうと、それを覆すのは困難です。
痴漢冤罪回避の視点から、男性専用車両導入の声は男性からもあがっていますが、男性専用車両は自分の首を絞める危険性があることを認識しておいたほうが良いと思います。