なぜ人はダサいと言われてもファッションで踊るのか

ファッションの流行=大喜利のテーマ

毎年「今年は〇〇が流行!」など言われているが、その流行は業界によって作られたブームだ

みんな同じような格好をして全然オシャレと思わない、むしろ流行を追いかけている姿勢がダサい

こういうことはよく言われていますが、そもそもファッションの流行は大喜利と同じで、そう考えるとこういった指摘が的はずれであることがわかります。

 

笑点

笑点ありますよね。落語家の方たちが、同じお題に対して一生懸命面白いことを言おうと頭を使って答えを発表する。

アレってダサいですか?って話です。

「お題も自分で考えられないの?」

「みんなで同じ問題に答えて、恥ずかしくないの?」

とか思わないですよね。

言ってみれば、ファッションの流行はシーズンごとに出題される大喜利なんです。歌丸さんに「さて、次のテーマはこちらです。みなさん自分なりの答えを考えて発表してください」って言われているんです。

一歩間違えるとダサくなりそうな、ちょっとむずかしいお題にうまく答えられると楽しいんですよね。最近はあえてダサい方に軽くはみ出すくらいがクールになっていて、丸メガネ、白ソックス、ビッグシルエット、あとオルチャンメイクなんかはそういう類のお題ですね。そういう文脈を知らない人からしたら単にダサいアイテムを使ってるだけに見えるので、かなりハイコンテクストではあります。

上手い人、下手な人

もちろん、下手な人もたくさんいます。全然面白くない答えを出す人や、他の人と全く同じ答えを出しちゃう人。でも大喜利だって、駆け出しの人などはTVで笑点を見ながら「自分だったらこう答えるなあ」とか下手なりに考えますよね。

 

そしてベテランの落語家さんは、みんな確かに同じテーマについて考えますが、自分なりの知識、経験、センス、業界の文脈(古典の参照など)を盛り込んでユニークな答えを出してきますね。ファッションでも同じことをやってるんです。

 

ファッションというゲーム

なので、そこで「業界に踊らされちゃって」とか「みんな同じような格好して」とか言われても「だってそういうゲームだから」としか言えません。

 

もちろんそういうのが嫌いな人もいます。頑なにロカビリーな人とか。そういう人は同じファッションのカテゴリーでも、やってるゲームが違うんですよね。

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