転職活動をするのは「転職をする必要が無いとき」がベスト

"転職"には勇気がいるが、"転職活動"には勇気はいらない

最近は「ブラック企業」「鬱」「過労死」等のネガティブな報道も相まって

嫌な仕事なら辞めちゃっていいんだよ

とか

辞めてみると、世界は広かったことに気がつくよ

なんとかなるから大丈夫だよ

とか、いろいろ言われるようになりました。実際それは確かにそうだと思います。

しかし、いざ実際に転職するとなると勇気がいるものです。

 

「そんな都合よく、いまの職場より条件がいいところが見つかるだろうか?」

「転職先でも成果を出すことが出来るだろうか?」

「人間関係をうまく築くことが出来るだろうか?」

 

などなど、考えだしたらおっかなくて転職なんてとてもじゃないけどできません。だいたい転職活動はかなりエネルギーを使うので、やらない理由が勝ってしまいがちです。

 

ただ、ちょっと考えてみてください。転職に勇気がいるのは、転職後のことが不安だからです。転職活動をするだけならそれほど勇気はいりません

転職に際して、「背水の陣」は悪手

たまにノリや精神的な問題で、先に今の職場を退職してから転職先を探す人がいます。しかし、そうやって必要にせまられてから転職活動をすると、どうしても面接先との折衝で不利になります。各種条件、入社タイミングなど、先方の都合に合わせざるを得なくなります。

給与面でも「あわよくばちょっと上がればいいけど、現状維持でもOKです。最悪ちょっと下がってもいいから拾ってください・・・」というスタンスになってしまいます。

転職活動をするのは「転職をする必要が無いとき」がベスト

なので逆説的ですが、実は転職活動をするなら、転職をする必要が無いときがベストです。そういうタイミングであれば面接でかなり強気に出られます。給与の交渉でも、例えば現在600万もらっているとしたら、それこそ「1000万もらえるなら行ってあげてもいいですよ」っていうスタンスで臨めます。

入社時期も、現在の職場の引き継ぎ期間やバカンス期間も含めて交渉ができます。

それで仮に不採用となったとしても、今の会社に残ればいいだけの話です。なんのリスクもありません。当然あまり無茶な要求は通りませんが、自分の現実的だと思うギリギリのラインを攻めることができます。

実際に転職をするかどうかは内定をもらってから悩めばいい

そうやって対等どころかやや上から面接をしていた結果、うっかり「じゃあその条件でよろしくおねがいします」という企業があったら、そこで初めて悩めばいいんです。

「言うてみるもんやな!ハハハ!!」っつって実際に転職してもいいですし、「お世話になった先輩もいるし、やっぱり今の会社でもうちょっと頑張ろう」って思ったら内定をお断りすればいいんです。どうにでもなります。

要はそうやって自分に選択権がある状況を作ることが大事なんです。

「なんとなく不満が無くもないけど、転職までは考えてないよ〜」という人も、そういうスタンスで定期的に転職先を探してみることをオススメします。面接で色んな会社にお邪魔するのも、社会科見学みたいで楽しいですよ。

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パリコレが奇抜な理由

himasoku.com

デザイナーの頭の中にはまずその人なりの「モダンでエッジ」な世界観があって、それを流通に乗せる段階で、「大衆に受け入れられる」「現実的な」デザインへと落とし込みます。

で、ファッションショーっていうのはその「モダンでエッジ」な世界観だけを極端に切り取ったエッセンスなので、奇抜になるのは当然なんですよね。

なのでショーの場では実用的かどうかはまったく関係ありません。機能としての服ではなく、アートのフォーマットとして服が使われているだけです。

 

なので

40: トペ スイシーダ(茸)@\(^o^)/ 2015/10/15(木) 18:22:02.51 id:JKFDo38j0.net
路上でこんなの居たら即事案だろうが

こういう意見は100メートルを10秒で走るのを見て「バイクのほうが早い」って言うようなもんです。

ウサイン・ボルトだって急いでる時は車に乗ります。しかし、実用的なメリットとは別のものとして追求するところがあるんです。

 フリー写真 ランウェイを歩くファッションモデルたち

 

ただ、ファッションショーも昔に比べると一皮むけたというか、なにか限界を突破した感は確かにあります。ショーをやるようなメゾンは上流階級のコミュニティですから、どうしてもお行儀よくやっていたところはあったものの、時代の流れによって今までの枠にとらわれないデザイナーが増えたり、世間的にファストファッションという選択肢が増えたことで、差別化を図る必要が増したのも要因の一つかもしれません。

音楽ランキングがアイドルばかりになる理由

邦楽は終わっていない

AKBとジャニーズばかりのランキングをみて「邦楽終わったな」っていう意見をよく聞きますね。ただこれは短絡的すぎる意見で、そうは言えないと思います。

別に邦楽は終わっていません。むしろ発展しているとさえ思います。しかしランキングにはそれが反映されません。よく考えたら当たり前な話なんですが、それを解説していきます。

売れる音楽には2種類ある

ランキング、特に総合ランキングというステージでは以下の2種類のグループが混在しています。

  • 音楽属性:音楽を武器にしている人たち
  • 人気属性:人気を武器にしている人たち

前者の音楽属性については色んな意見があると思いますが、わかりやすく分類すれば、シンガーソングライターなんかはこっちですね。ミスチル、サザン、椎名林檎aikoなどです。両方を兼ね備えている人ももちろんたくさんいますが、アイドルは基本的に後者の「人気属性」の分類になります。

そこで、前者の「音楽属性」がランキングに現れなくなったことで、例の「邦楽\(^o^)/オワタ」論がでてきてるんですが、そうじゃないんです。

「音楽属性」の選択肢が圧倒的に増えた結果、分散しているだけ

今でも「音楽属性」のアーティストはいます。いますが、DTMや発信チャネルの発達によって数が急激に増えたことで、特定のアーティストに集中することがなくなっているんです。それに比べて「人気属性」の人たちは、基本的に仕掛け人が他にいます。そして大体は大企業です。当然、ボトムアップで雨後の筍のように現れては消える音楽属性に比べたら数は圧倒的に少ないため、みんなが同じタイトルを買うようになる。その結果、ランキングには後者の「人気属性」が圧倒的に多くなるんですね。

参入障壁の崩壊

以前は、多くの人に音楽を聴いてもらおうと思ったら、まずは大手レーベルのもとでメジャーデビューをしないと話になりませんでした。そのためには地道なライブ活動、オーディションなどをコツコツをする必要がありました。そもそもバンドが組めなければ、一人では何もできませんでした。

しかし、いまはMacにはGarageBandが無料でバンドルされていますし、一人でDTMですべてのトラックを作り上げることが非常に簡単になっています。楽器が弾けなくても、MIDIで打ち込むか、もしくはサンプリングをペタペタすればそれなりのトラックが完成します。そしていちいちメジャーデビューなどしなくても、曲ができた直後にYouTubeSoundCloudにアップすれば世界中に発信することが出来ます。

日本中、世界中の人にチャンスが爆発的に広がったことで音楽は活性化しています。もともとレッドオーシャンだったところに、参入障壁がなくなっているので、以前にもまして世界中でセンスとセンスのぶつかり合い、音楽ファンの耳の奪い合いが行われています。「音楽属性」と「人気属性」の合計同士を比べたら、圧倒的に「音楽属性」の方が聴かれているはずです。

プレイヤーが増えると質が上がる

そうすると、競争原理によって質は上がっていきます。冒頭で、むしろ発展しているとさえ思うと言ったのはこれが理由です。しかし、決してランキングには上がってきません。もはやランキングは「音楽属性」の人たちのステージではないのです。

終わってるのは「ランキング」か、もしくは「未だにランキングを気にする人々」

ランキングっていうのが昭和〜平成にかけてのテレビ・ラジオ世代には意味があったんですよね。「みんながこれを聴いてます、なのであなたも聴きましょう」っていうノリです。戦後の復興の「一致団結」の名残でしょうか。

しかし、現代のインターネット世代においては、それぞれが好きなものを聴いて満足し、他人が何を聴いているかにはあまり意義を見出しません。

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なので、ランキングっていう「これがいま大衆に売れている」っていう指標自体がもう役割を終えたんじゃないかと思います。

そして、売れている音楽が良い音楽っていうものでもないので、「音楽業界の単なる売上報告書」に成り下がったランキングの結果を見て、邦楽の質がどうのこうの言ってる時点でちょっとズレてるということだと思います。

実はアイドルも質が高い

一応、フォローというわけではないんですが、「人気属性」の筆頭であるアイドルの楽曲も、実は質が高いものが多いです。なぜなら、前述したように大企業が仕掛け人なので、なんとか売れようとカネとコネを総動員します。曲作りには人気のアーティストや腕の確かな大御所をアサインし、そして高度なマーケティング手法を駆使して殴り込んできています。実際、ランキングに上がってくる曲は圧倒的に音が洗練されていて、シズル感があり、キャッチーです。元々は前者だった「音楽属性」のアーティストをプロデュースしてアイドルに仕立て上げているケースも多々あります。

音楽は終わらない

というわけで、CDという流通媒体が死に、ランキングが死んでも、音楽は死にません。少なくとも、皆が耳にイヤホンを突っ込んでるうちは不滅です。

おもてなしとイノベーションのトレードオフ

それは「おもてなし」か「あまやかし」か

日本の企業はサービスの質が高いかわりにアジリティが低いんですよね。それぞれの顧客へのきめ細やかなおもてなしを重視するあまりに、フットワークが重い。未だにFAXがこれほど使われているのはそういうところが理由だと思います。

顧客に何らかの通知を適時行う必要があった場合、パソコンを持っていない顧客にEメールを使わせるようにする場合は

  • パソコンを買わせて
  • プロバイダ契約させて
  • メールクライアントの設定してあげて
  • こまめにチェックするように教育して
  • ケータイを持っていればそっちにも転送するように設定してあげて

っていうのが必要になります。

FAXなら

  • FAX機を買わせる

で終わりです。

そしたら「あーパソコンないんですね。電話回線はありますよね?じゃあ何か通知があればFAXでお知らせしますね」となります。こっちのほうが楽なので顧客も喜びます。

 

これは単にFAXの導入コストが圧倒的に安いだけって話にもなるんですが、ランニングコストも含めて合理的に考えればそういう顧客はコスト的に見合わないとして切り捨てる判断もありなはずです。しかしそこでおもてなし精神を発揮してしまう。

パッケージをカスタマイズしすぎ問題

業務システムのパッケージなんかも、基本的には導入にあたって「いま顧客の組織で運用している現行のフローが100%できること」を最低限の要望に設定しがちです。ちょっと風変わりなフローがあったとしても、パッケージをカスタマイズして顧客のニーズに合わせてしまいます。

 

本来、業務システムのパッケージはその業務に必要な機能はすべて盛り込まれているはずです。ある機能がパッケージに入っていないということは、ほとんどの組織はその機能がなくても回っているということ。であれば、なくても大丈夫なはずなんですが、顧客の担当もそこのフローを変える権限が無かったりするので、お互いに「なんでここ縦書きで出す必要があるんや・・・」とか思っても「いまそうなってるので。」で終了してしまうんですね。

 

そしてコア部分に何かバグがあったとか、法律の改正によって何かしらの対応が必要になった場合に、それぞれカスタマイズしたパッケージごとに個別に調査・修正が必要になってしまいます。結果、エンジニア部門はバグの修正と仕様変更と、また別のクライアント用のカスタマイズで手一杯になり、ボトムアップのチューニングや新規機能追加などは夢のまた夢。日本の企業からイノベーションが起こらないのもうなずけます。

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どうせ結末は同じ

こうやって日本の企業は体脂肪率を上昇させ、フットワークを重くしているわけです。何も顧客を蔑ろにしろとは言いませんが、グローバル化のスピードについていくには、もう少し合理性を高めないと海外の競合に負けてしまいます。そして負けた結果、いままでの顧客は合理的な競合に持っていかれ、そして顧客もFAXではなくメールを使わされるようになるんです。どうせそうなるなら、自分たちがやっても同じじゃないですか?

シンギュラリティで最も恐ろしいのは機械の反乱などではない

シンギュラリティ

技術的特異点 - Wikipedia

2045年あたりにシンギュラリティが来ると言われており、そうなると、人工知能(AI)が我々人間の思考能力を超え、それが再帰的に人工知能の性能を加速度的に高めていくと言われています。人間より賢いAIが、より賢いAIを作り出し、それがまた更により賢いAIを作って・・・というサイクルがものすごい速さで回ります。

ポスト・シンギュラリティ

シンギュラリティが到来すると、その後の世界はどうなるのか。確かなことは誰にもわかっていません。楽観的な意見、悲観的な意見がそれぞれありますが、悲観的な意見として代表的なのが「機械が自己を持ち、生みの親である人間を敵対視して排除するのではないか」という、いわゆるスカイネットシナリオです。

それについて「あり得る」「いやありえない」という議論が世界中で巻き起こっていますが、結論は出ていません。

スカイネットはまだマシ

スカイネットシナリオの行き着く先は「機械 vs. 人間」の戦争です。なので万が一そのシナリオが現実のものとなったとしても、もし人間が勝ちさえすれば、そこには未来があります。そういった未来を見据えた希望を持つことができます。

しかし、実際にはもっと恐ろしい結末が他にありえると考えます。

もっと恐ろしいのは、無邪気で正確な予測による絶望

AIが人間に敵意を持たず「健全」に発達した場合、その恩恵には未来の正確な予測が含まれます。一年先の正確な天気、ピンポイントな秒単位での地震予知などです。楽観的な意見にはこういった未来が含まれています。しかしそういった予測が有益なのは、対策を立てられるものに対してだけです。

AIの、毛ほどの悪意もない正確な予測の結果が、例えば地球の滅亡だったらどうなるでしょうか。正確な予測で、AIですら回避できない破壊的な現象が予言されてしまったら?巨大隕石の衝突、ガンマ線バーストの直撃、太陽系の崩壊などが例えば3年後にやって来て、地球もしくは宇宙そのものが破壊される、そしてそれは不可避であるとAIが結論を出したら?

 

これは月が地球に衝突したときのシミュレーション動画ですが、こういうことが100%起こると予測されたら、我々人間は一体どうしたらいいのでしょうか。

www.youtube.com

打つ手のない絶望が最も恐ろしい

そうなった場合、地球上の人間は絶望のどん底へ突き落とされることになります。人類はこの絶望に耐えられるのでしょうか?

スカイネットと戦争してる方がまだマシです。勝てば未来があるという希望がありますから。実際には絶対に勝てないと思いますが、少なくとも希望を持ったまま死ぬことができます。

設計段階で回避が可能か?

設計段階でそういった予測をアウトプットしないようにすることはできるかもしれません。しかし、それ以降の未来がもし存在しないとなると、それ以降のアウトプットも無くなってしまうので人類はいずれ察知することになるでしょう。

「知らぬが仏」の極地

これは予測なので、AIが引き起こしたわけではなくいずれ起こったことではあるのですが、自分がいつ、どうやって死ぬかを知らされてしまうことほど残酷なことはないでしょう。個人的には、このシナリオがスカイネットよりももっと恐ろしいと感じます。

ダイバーシティインデックス

ダイバーシティインデックスは「多様性の指数」

ダイバーシティは一般的には多様性と訳されます。一つの集団があった時に、個々の要素間にどの程度バリエーションがあるか、どの程度「いろんな人がいるか」っていう考え方です。ダイバーシティインデックスとは、その「どの程度」っていうのを数値化したもので、それが高ければその集団の多様性が高く、低ければ多様性が低いというものです。そして、進化論によれば集団は変化に強いほうが生き残りやすいため、多様性が高い=ダイバーシティインデックスが高いほうが有利なのです。

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突然変異の役割

人間に限らず、遺伝子の突然変異っていうのは自律的にダイバーシティインデックスを高める作用と見られています。どういうことかというと、常に遺伝子が正確に引き継がれていてばかりではイノベーションが起こらず、多様性が十分に高まらないことによって例えば何らかのウィルスによって人類が全滅する可能性があるのですが、時折突然変異によって今までの流れと違う枝を伸ばす(フォークする)ことによって今までにない遺伝子、いわば新人類を作り、多様性を確保しているのです。

ただそれが毎回いい方に進めばいいんですが、そんなことは極めて稀です。突然変異は完全にランダムなので、どう転がるかはわかりません。そもそもその変異が良い方向かどうかはその時の状況によっても変わってきます。本当に適当に色んな所に種を撒いておいて、なんかあった時にあわよくばそっちで生き残ってくれるのがあるといいなあ〜っていう戦略です。

グローバル化

一方、科学技術の進歩によって地球はどんどん狭くなり、ヒト・モノ・カネの交流がどんどん激しくなっていきます。それにともなって恋愛も国境を超え、異民族同士の子供が増えていくことになります。人間は本能的にダイバーシティインデックスを高めようとするため、自分にない特徴を持った人に惹かれがちです。思春期の子供が親と距離を置きたがることや、ハーフタレントの人気が高いのも同様の理由です。

ダイバーシティインデックスは増加してからいずれ低下する

そうやってヒトのグローバル化が進むと、ダイバーシティインデックスは増加します。様々な人種同士の交配が起こり、バリエーションが指数関数的に増えていきます。ただ、ある時期を境に減少に転じます。なぜかというと地球は有限で、地球上に住める人間の数には限りがあるからです。

国境を超えた恋愛を目まぐるしいスピードで行った結果、世界中の人種の偏りがなくなり、言ってみれば人種のエントロピーが極限まで増大することで、「アジア人」「欧米人」「黒人」「日本人とフィンランド人のハーフ」などではなく、どこに行っても同じような「地球人」しか見られなくなります。地球上の人種のダイバーシティインデックスがほぼゼロになるわけです。

"良い"突然変異とグローバル化のスピード勝負

そうすると前述した懸念が出てきます。ダイバーシティインデックスが低下したことで全員が遺伝子に同じ弱点を抱えている可能性があるわけです。ピンポイントでそこを攻撃する新種のウィルスが現れて、地球上の人間を一網打尽にすることも考えられるわけです。

その前に人間の遺伝子が突然変異によって新たな多様性を作っていればいいわけですが、突然変異は自分たちでコントロールできません。将来、技術的に可能になったとしても政治的に難しいでしょう。完全に賭けになります。

グローバル化によるダイバーシティインデックスの低下に比べて、より速く「有効な」突然変異が起きてくれなければ、人類は絶滅という大きなリスクを抱えることになります。

もう一つの競争相手

実はもう一つ競争相手がいます。シンギュラリティです。技術的特異点と呼ばれ、コンピュータが人類の知恵を超えることによる技術的なブレイクスルーです。あらゆる問題が、人間には思いもつかない、または人間には不可能なやりかたによって解決されるようになります。これにより、突然変異よりも速く有効なダイバーシティインデックスを増加させる方法が見つかるのかもしれません。

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極めて精巧な偽札が誰にも気づかれずに流通したら誰が損をするのか

偽札作りは重罪

言うまでもなく、偽札を作るのは犯罪です。しかも結構重罪です。

通貨というのはそれ自体に価値はなく、「みんなが価値があると信用している」という暗黙の了解で成り立っているので、偽札が流通することでみんなが「この紙切れには価値があるのか?」と疑い始めたらあっというまに破綻してしまうからです。

なので、死刑こそないものの、殺人に次ぐ重罪に位置されています。

シミュレーション

単に作っただけで流通しない場合

ここでちょっと思考実験をしてみます。例えば私が一万円札の偽札を作っただけであれば、何にも影響はありません。誰も、得も損もしません。家宅捜索でもされて見つかったら大変なことになるでしょうが、家にこっそり飾っておくだけなら少なくとも社会的な影響はゼロです。

使ったら誰が損をするか

次にそれをお店で使うと、私が一万円得をして、お店が一万円損することになります。ここで初めて社会に影響が出ます。

お店が損をしない方法

ただそこでお店が損をしない方法がひとつあります。 バレないように使ってまた別の人に渡してしまえば良いんです。これも犯罪ですが、仮にそうした場合は、お店が損を被ることは回避できます。

誰かにバレるまでは流通し続けるババ抜き状態

日本の紙幣は非常に精巧に作られており、偽造は極めて困難です。なので少しの間バレずに流通したとしても、いつかはバレて誰かが捕まることになります。たとえ偽札だと気づかなくても、使ってバレた場合は逮捕されることになります。知らなかったでは済まされないんですね。偽札の流通がババ抜きと呼ばれる所以です。誰かが捕まらないにしても、いずれは目が利いて誠実な人が警察へ提出し、没収され、その人が損をして終わりです。

絶対にばれない偽札があったとしたら

さてここで、私が最初に作った一万円の偽札の出来が非常に良く、分子レベルまでそっくりに作っていた場合はどうなるでしょう?技術的にはともかく、原理的には可能です。そうすると、誰も偽札だと気づく人はいません。本物の紙幣と同様に普通に流通していきます。そして最終的に損傷等によって正規の日本銀行券と交換されて役目を終えたとします。

ここで問題です

問1:このケースでは、私が一万円得をしていますが、一万円損をしたのは誰でしょうか?

インフレ

ここで一旦、別の方面から考えてみます。

私は不正に日本経済に一万円を余分に付け加えてしまいました。これはほんの少しだけインフレを起こしてしまった状態です。

500兆円を偽造した場合

流通する貨幣が2倍になった場合を考えてみましょう。2018年5月時点でのマネタリーベースは490兆円ほどなので、私が一万円なんてケチな金額ではなく、ドーンと500兆円ほど偽造したと考えてください。

紙幣の価値は1/2になります。昨日まで100円で買えていたものが200円出さないと買えなくなります。(実際には一個人が国債を介さずに500兆を流通させるのは不可能ですし、追加の500兆が全体に流通するまで、そしてマネタリーベースがマネーサプライに影響を及ぼすまではタイムラグがあるのでかなり早い段階で国税庁が気づくでしょう。まあそのへんは置いといて、)こうなってしまうとさすがに一般の国民ですらおかしいと気付きます。

一万円を偽造した場合

しかし一万円程度なら誰も気が付かないんです。

不正な一万円の追加流通は、貨幣の価値を1/500億だけ下げることになります。ざっくり言うと昨日まで500億円出せば買えていたものが500億円と1円出さないと買えなくなってしまったということなのですが、日々の物価の変動のほうがはるかに大きいので、それに気がつく人はいないでしょう。

答え

ということで正解は「日本の紙幣を使う人達全員がほんのちょっとずつ損をしている」です。実質的にはほとんど誰も損をせず、自分だけが得をする状態ということになりますね。

一応

なんとなく誰にも迷惑をかけないような気がしちゃいますが、そんな精巧な偽札作りはまず不可能であることと、冒頭で言ったように、貨幣価値の目減り以上に貨幣自体の信用を損なう行為なので絶対にやめましょうね。

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