#禁煙 と#早起き の共通点
禁煙のコツと早起きのコツには共通点があります。
禁煙が辛い理由
禁煙は辛いです。おそらく、タバコを吸ったことがない人には何が辛いのかわからないと思いますが、しばらく吸っていないとタバコのことばかり考えて落ち着かなくなります。食欲・性欲・睡眠欲のどれとも異なるんですが、何か別のところをくすぐられている感じになるんですね。それを抑えるためにはタバコを吸うしか無い、という状況です。
そして何が辛いかっていうと、それがずっと続くことです。
波があってちょっと我慢すれば落ち着くというものでもないです。そして、それが高じて最終的には
もうこんなに辛いなら吸ったほうがいいんじゃないか
と思い始めるんですね。
早起きが辛い理由
次に、早起きが辛い理由です。これは誰しもが経験あると思いますが、単純に眠いからです。そして、これもさほど異論はないと思うんですが、
こんなに眠いのは体が睡眠を欲しているからで、もうちょっと寝たほうが良いはずだ
って思いますよね。
コツ
私は早起きが得意な方です。断っておきますが、好きではないです。全く好きではないですが、得意です。イヤイヤながらですが、きっちり起きられます。
タバコも昔は吸っていましたが、過去に2度ほど年単位の禁煙を行い、現在はもう10年以上吸っていません。
どちらも同じ要領で乗り越えました。それは
気のせいにする
ことです。
共通点
タバコが吸いたい、もはや吸ったほうがいいんじゃないか→気のせいです。
まだ眠い、もうちょっと寝ないと健康に良くない→気のせいです。
「タバコが吸いたい→気のせい」について
タバコに関しては「タバコを吸いたいと思うのは気のせいだ」という主張に対してそれほど異論はないと思います。そして実際、脳が騙されているだけなので、気のせい以外の何者でもありません。大事なのは、「気のせい」だという事実を受け入れることです。タバコを吸い始める前、タバコを吸わなかったことで病気になったりしましたか?そんなことないですよね。なので「俺はいまニコチンに騙されているだけなんだ。そうはいくか」と抵抗するのです。
「もうちょっと寝ないとダメな気がする→気のせい」について
睡眠に関しては、実際に寝不足なケースがあります。なので忙しい時期など、ほんとうに寝ないとダメなこともあります。ただ今回は日常的な習慣としての話にしぼります。
寝起きは眠いです。ただそれは、体が欲しているわけではなく「さっきまで寝ていたから」っていうただそれだけの理由です。
だいたい、そこで二度寝したところで、二度寝に許された時間は5分かせいぜい10分ほどでしょう。そして考えてみてください。そこで5分〜10分二度寝したからといって身体的なダメージがどれほど変わるのでしょうか。それを気にするのであれば10分早く寝ればいい話ですが、寝る前は眠くないので「全然元気、行ける行ける」と思ってしまい、本来寝たほうが良い時間よりも平気で1時間とか遅くなります。
寝る時間は平気で1時間とか遅らせるくせに、起きる時間は5分や10分でも惜しんでしまうのです。それは、さっきまで寝ていたっていうだけの理由で「眠った方が良い」と勘違いしているだけなんです。
コツは「我慢する」ではなく「気持ちの置き場所を与える」こと
そうやって自分に言い聞かせることで、タバコや睡眠に対する欲望をコントロールすることができるはずです。特に禁煙に関しては、多くの人が挫折する理由は「我慢できなくなった」からです。しかしそこで、ただひたすら我慢するのではなく、モヤモヤした気持ちを自分なりに論理的に理解して、消化してしまうのです。そうすることでそれを考えなくて良くなります。納得した上で忘れることができるのです。
「タバコが吸いたい/もうちょっと寝たい」という気持ちを「ああ、これはあるメカニズムで自分にこういった影響を及ぼしているんだ。さて、それは本当に必要なことだろうか?いや、そんなことはない。気のせいだ。」という流れです。
#終電 がなくなったら #残業 はエンドレスになるか
ニューヨークの地下鉄は24時間営業です。終電がありません。
便利だなと思う半面、JRや地下鉄が24時間営業になったら残業がエンドレスになる!のような主張を見かけるたびに思っているので書いてみます。
結論:不可能
結論からいうとならないです。ならないというか、エンドレス残業=24時間勤務なわけですから普通に考えてそもそも不可能ですよね。そんな状況は2〜3日か、長くても5営業日以内に破綻します。
「終電」は自分で仕事を区切れない人の言い訳
だいたいにおいて「終電」は「自分で仕事を区切れない人(管理者を含む)の言い訳」に使われているだけです。
「終電」を言い訳にした帰宅により、3時間程度の睡眠を確保することでギリギリ(アウト)のサステイナビリティを確保しているだけなので、それを確保できなくなれば、なんとか他の方法を考え出さざるを得なくなります。
終電まで残業をするのは仕事を終わらせるためではない
トム・デマルコか誰かが言ってましたが、ほとんどの残業は「タスクを終わらせるため」ではなく「タスクが終わらなかった時の言い訳のため」に行われます。実際に何時間働いたか、ではなく「ギリギリまでやった」っていう事実が必要なだけです。
「毎日〇〇までやりましたができませんでした」
の〇〇の部分が、「終電」から何か他のものになるだけです。
少子化が加速する
なので、残業に関しては全く心配する必要はないんですが、そんなことよりも「終電・・なくなっちゃったね」が使えなくなくなったら、長い間に培われてきて広く浸透しているホテルに行くためのプロトコルが使えなくなってしまうことの方が深刻です。どうやって「ホテルへ行く」という合意形成を行えばいいのか、を考えなくてはならなくなりますね。
世界を英語化しようとしたら、一世代で完了できる
いまでもGoogle翻訳がかなり精度が上がっていて、それなりにコミュニケーションが取れてしまいます。
たとえちょっと雑な翻訳機であっても、一世代だけそれを徹底したら、それ以降の子どもは全員英語を話すようになりますよね。
なので、翻訳機が発達すればするほど、翻訳機自体の寿命は短くなるのかなと思います。
転職活動をするのは「転職をする必要が無いとき」がベスト
"転職"には勇気がいるが、"転職活動"には勇気はいらない
最近は「ブラック企業」「鬱」「過労死」等のネガティブな報道も相まって
嫌な仕事なら辞めちゃっていいんだよ
とか
辞めてみると、世界は広かったことに気がつくよ
なんとかなるから大丈夫だよ
とか、いろいろ言われるようになりました。実際それは確かにそうだと思います。
しかし、いざ実際に転職するとなると勇気がいるものです。
「そんな都合よく、いまの職場より条件がいいところが見つかるだろうか?」
「転職先でも成果を出すことが出来るだろうか?」
「人間関係をうまく築くことが出来るだろうか?」
などなど、考えだしたらおっかなくて転職なんてとてもじゃないけどできません。だいたい転職活動はかなりエネルギーを使うので、やらない理由が勝ってしまいがちです。
ただ、ちょっと考えてみてください。転職に勇気がいるのは、転職後のことが不安だからです。転職活動をするだけならそれほど勇気はいりません。
転職に際して、「背水の陣」は悪手
たまにノリや精神的な問題で、先に今の職場を退職してから転職先を探す人がいます。しかし、そうやって必要にせまられてから転職活動をすると、どうしても面接先との折衝で不利になります。各種条件、入社タイミングなど、先方の都合に合わせざるを得なくなります。
給与面でも「あわよくばちょっと上がればいいけど、現状維持でもOKです。最悪ちょっと下がってもいいから拾ってください・・・」というスタンスになってしまいます。
転職活動をするのは「転職をする必要が無いとき」がベスト
なので逆説的ですが、実は転職活動をするなら、転職をする必要が無いときがベストです。そういうタイミングであれば面接でかなり強気に出られます。給与の交渉でも、例えば現在600万もらっているとしたら、それこそ「1000万もらえるなら行ってあげてもいいですよ」っていうスタンスで臨めます。
入社時期も、現在の職場の引き継ぎ期間やバカンス期間も含めて交渉ができます。
それで仮に不採用となったとしても、今の会社に残ればいいだけの話です。なんのリスクもありません。当然あまり無茶な要求は通りませんが、自分の現実的だと思うギリギリのラインを攻めることができます。
実際に転職をするかどうかは内定をもらってから悩めばいい
そうやって対等どころかやや上から面接をしていた結果、うっかり「じゃあその条件でよろしくおねがいします」という企業があったら、そこで初めて悩めばいいんです。
「言うてみるもんやな!ハハハ!!」っつって実際に転職してもいいですし、「お世話になった先輩もいるし、やっぱり今の会社でもうちょっと頑張ろう」って思ったら内定をお断りすればいいんです。どうにでもなります。
要はそうやって自分に選択権がある状況を作ることが大事なんです。
「なんとなく不満が無くもないけど、転職までは考えてないよ〜」という人も、そういうスタンスで定期的に転職先を探してみることをオススメします。面接で色んな会社にお邪魔するのも、社会科見学みたいで楽しいですよ。
パリコレが奇抜な理由
デザイナーの頭の中にはまずその人なりの「モダンでエッジ」な世界観があって、それを流通に乗せる段階で、「大衆に受け入れられる」「現実的な」デザインへと落とし込みます。
で、ファッションショーっていうのはその「モダンでエッジ」な世界観だけを極端に切り取ったエッセンスなので、奇抜になるのは当然なんですよね。
なのでショーの場では実用的かどうかはまったく関係ありません。機能としての服ではなく、アートのフォーマットとして服が使われているだけです。
なので
40: トペ スイシーダ(茸)@\(^o^)/ 2015/10/15(木) 18:22:02.51 id:JKFDo38j0.net路上でこんなの居たら即事案だろうが
こういう意見は100メートルを10秒で走るのを見て「バイクのほうが早い」って言うようなもんです。
ウサイン・ボルトだって急いでる時は車に乗ります。しかし、実用的なメリットとは別のものとして追求するところがあるんです。
ただ、ファッションショーも昔に比べると一皮むけたというか、なにか限界を突破した感は確かにあります。ショーをやるようなメゾンは上流階級のコミュニティですから、どうしてもお行儀よくやっていたところはあったものの、時代の流れによって今までの枠にとらわれないデザイナーが増えたり、世間的にファストファッションという選択肢が増えたことで、差別化を図る必要が増したのも要因の一つかもしれません。
音楽ランキングがアイドルばかりになる理由
邦楽は終わっていない
AKBとジャニーズばかりのランキングをみて「邦楽終わったな」っていう意見をよく聞きますね。ただこれは短絡的すぎる意見で、そうは言えないと思います。
別に邦楽は終わっていません。むしろ発展しているとさえ思います。しかしランキングにはそれが反映されません。よく考えたら当たり前な話なんですが、それを解説していきます。
売れる音楽には2種類ある
ランキング、特に総合ランキングというステージでは以下の2種類のグループが混在しています。
- 音楽属性:音楽を武器にしている人たち
- 人気属性:人気を武器にしている人たち
前者の音楽属性については色んな意見があると思いますが、わかりやすく分類すれば、シンガーソングライターなんかはこっちですね。ミスチル、サザン、椎名林檎、aikoなどです。両方を兼ね備えている人ももちろんたくさんいますが、アイドルは基本的に後者の「人気属性」の分類になります。
そこで、前者の「音楽属性」がランキングに現れなくなったことで、例の「邦楽\(^o^)/オワタ」論がでてきてるんですが、そうじゃないんです。
「音楽属性」の選択肢が圧倒的に増えた結果、分散しているだけ
今でも「音楽属性」のアーティストはいます。いますが、DTMや発信チャネルの発達によって数が急激に増えたことで、特定のアーティストに集中することがなくなっているんです。それに比べて「人気属性」の人たちは、基本的に仕掛け人が他にいます。そして大体は大企業です。当然、ボトムアップで雨後の筍のように現れては消える音楽属性に比べたら数は圧倒的に少ないため、みんなが同じタイトルを買うようになる。その結果、ランキングには後者の「人気属性」が圧倒的に多くなるんですね。
参入障壁の崩壊
以前は、多くの人に音楽を聴いてもらおうと思ったら、まずは大手レーベルのもとでメジャーデビューをしないと話になりませんでした。そのためには地道なライブ活動、オーディションなどをコツコツをする必要がありました。そもそもバンドが組めなければ、一人では何もできませんでした。
しかし、いまはMacにはGarageBandが無料でバンドルされていますし、一人でDTMですべてのトラックを作り上げることが非常に簡単になっています。楽器が弾けなくても、MIDIで打ち込むか、もしくはサンプリングをペタペタすればそれなりのトラックが完成します。そしていちいちメジャーデビューなどしなくても、曲ができた直後にYouTubeやSoundCloudにアップすれば世界中に発信することが出来ます。
日本中、世界中の人にチャンスが爆発的に広がったことで音楽は活性化しています。もともとレッドオーシャンだったところに、参入障壁がなくなっているので、以前にもまして世界中でセンスとセンスのぶつかり合い、音楽ファンの耳の奪い合いが行われています。「音楽属性」と「人気属性」の合計同士を比べたら、圧倒的に「音楽属性」の方が聴かれているはずです。
プレイヤーが増えると質が上がる
そうすると、競争原理によって質は上がっていきます。冒頭で、むしろ発展しているとさえ思うと言ったのはこれが理由です。しかし、決してランキングには上がってきません。もはやランキングは「音楽属性」の人たちのステージではないのです。
終わってるのは「ランキング」か、もしくは「未だにランキングを気にする人々」
ランキングっていうのが昭和〜平成にかけてのテレビ・ラジオ世代には意味があったんですよね。「みんながこれを聴いてます、なのであなたも聴きましょう」っていうノリです。戦後の復興の「一致団結」の名残でしょうか。
しかし、現代のインターネット世代においては、それぞれが好きなものを聴いて満足し、他人が何を聴いているかにはあまり意義を見出しません。
なので、ランキングっていう「これがいま大衆に売れている」っていう指標自体がもう役割を終えたんじゃないかと思います。
そして、売れている音楽が良い音楽っていうものでもないので、「音楽業界の単なる売上報告書」に成り下がったランキングの結果を見て、邦楽の質がどうのこうの言ってる時点でちょっとズレてるということだと思います。
実はアイドルも質が高い
一応、フォローというわけではないんですが、「人気属性」の筆頭であるアイドルの楽曲も、実は質が高いものが多いです。なぜなら、前述したように大企業が仕掛け人なので、なんとか売れようとカネとコネを総動員します。曲作りには人気のアーティストや腕の確かな大御所をアサインし、そして高度なマーケティング手法を駆使して殴り込んできています。実際、ランキングに上がってくる曲は圧倒的に音が洗練されていて、シズル感があり、キャッチーです。元々は前者だった「音楽属性」のアーティストをプロデュースしてアイドルに仕立て上げているケースも多々あります。
音楽は終わらない
というわけで、CDという流通媒体が死に、ランキングが死んでも、音楽は死にません。少なくとも、皆が耳にイヤホンを突っ込んでるうちは不滅です。
おもてなしとイノベーションのトレードオフ
それは「おもてなし」か「あまやかし」か
日本の企業はサービスの質が高いかわりにアジリティが低いんですよね。それぞれの顧客へのきめ細やかなおもてなしを重視するあまりに、フットワークが重い。未だにFAXがこれほど使われているのはそういうところが理由だと思います。
顧客に何らかの通知を適時行う必要があった場合、パソコンを持っていない顧客にEメールを使わせるようにする場合は
- パソコンを買わせて
- プロバイダ契約させて
- メールクライアントの設定してあげて
- こまめにチェックするように教育して
- ケータイを持っていればそっちにも転送するように設定してあげて
っていうのが必要になります。
FAXなら
- FAX機を買わせる
で終わりです。
そしたら「あーパソコンないんですね。電話回線はありますよね?じゃあ何か通知があればFAXでお知らせしますね」となります。こっちのほうが楽なので顧客も喜びます。
これは単にFAXの導入コストが圧倒的に安いだけって話にもなるんですが、ランニングコストも含めて合理的に考えればそういう顧客はコスト的に見合わないとして切り捨てる判断もありなはずです。しかしそこでおもてなし精神を発揮してしまう。
パッケージをカスタマイズしすぎ問題
業務システムのパッケージなんかも、基本的には導入にあたって「いま顧客の組織で運用している現行のフローが100%できること」を最低限の要望に設定しがちです。ちょっと風変わりなフローがあったとしても、パッケージをカスタマイズして顧客のニーズに合わせてしまいます。
本来、業務システムのパッケージはその業務に必要な機能はすべて盛り込まれているはずです。ある機能がパッケージに入っていないということは、ほとんどの組織はその機能がなくても回っているということ。であれば、なくても大丈夫なはずなんですが、顧客の担当もそこのフローを変える権限が無かったりするので、お互いに「なんでここ縦書きで出す必要があるんや・・・」とか思っても「いまそうなってるので。」で終了してしまうんですね。
そしてコア部分に何かバグがあったとか、法律の改正によって何かしらの対応が必要になった場合に、それぞれカスタマイズしたパッケージごとに個別に調査・修正が必要になってしまいます。結果、エンジニア部門はバグの修正と仕様変更と、また別のクライアント用のカスタマイズで手一杯になり、ボトムアップのチューニングや新規機能追加などは夢のまた夢。日本の企業からイノベーションが起こらないのもうなずけます。
どうせ結末は同じ
こうやって日本の企業は体脂肪率を上昇させ、フットワークを重くしているわけです。何も顧客を蔑ろにしろとは言いませんが、グローバル化のスピードについていくには、もう少し合理性を高めないと海外の競合に負けてしまいます。そして負けた結果、いままでの顧客は合理的な競合に持っていかれ、そして顧客もFAXではなくメールを使わされるようになるんです。どうせそうなるなら、自分たちがやっても同じじゃないですか?